筆者は合同会社合同屋を立ち上げる前に、誘われてFintech系スタートアップの立ち上げ参画して三年ほど勤務しました。結果は痛み分けといったところでしたが、組織作りや組織運営という点ではとても面白い経験だったのでいくつか書き残しておきたいと思います。

以前からピープルウェアJoel on Softwareを熱心に読んでいたので、自分がスタートアップをやるならこうする、というのを思いつく限りやってみたわけですが、その中からここにいくつか紹介していきます。

まず、個室です。これが一番議論を呼ぶところだと思うのですが、プログラマには全員、個室を用意しました。といっても消防法に触れないように、部屋の区切りの上の方だけは少し空いているのですが、それでも区画全体をちゃんとした壁で区切ってあるので他の執務室からの音はほとんど入ってこないようになっています。基本的に窓側にずらりと部屋を並べたので、結構遠くまで窓の外が見える部屋になっていました。もっといい写真があるといいんだけど、工事中の様子はこんな感じ。

部屋その1 部屋その2 部屋その3、娘が来た

ぱっと見より中は広いんですよね。有線のLANと各部屋に電源タップを揃えて、ディスプレイやマシンは基本的に好きなものを選んでもらいました。それから椅子はこの後すぐにプログラマは全員アーロンチェアに交換しています。電話はありません。

このようなスペースを用意した狙いは単純です。実はこの会社のプログラマは全員漏れなくマネージャーでありCTO(のちにエンジニア部門長)だった私よりも高給取りなんです。そのため、プログラマたちが存分に力を発揮して成果を挙げてくれないと上司はやるせない気持ちになってしまうんです。

エンジニアチームを立ち上げるのに、なんといっても一番大事なのは採用です。だから、まともな人を採用するには最低でもこれくらいは当然だという基準を作るのが上司としての自分の最初の仕事でした。そこでまず最初に取り組んだのは、可能な限り最高の環境を用意して、最高の待遇を用意すれば、それなりの人材の心を動かすことができるのではないかという仮説です。

東京で会社勤めをするのに最も大変なのは通勤です。東京の通勤は地獄です。シリコンバレーの企業が無料のランチを提供しているのは、あちらでは昼にちょっと外に食べに行こうとしても東京みたいに近くにクオリティの高い店が密集しているわけじゃないのと、そもそも通勤が苦痛ではないからだと思います。だから東京で会社をやるんだったらランチの問題なんか解決しても従業員はこれっぽっちもありがたくありません(ありがたがられるんだったら、給料が安すぎるんじゃないかと疑ったほうがいい)。それに、たとえ六本木ヒルズに入っているような会社であっても、そのオフィスはといえば、やたらとオシャレな入り口となんでも揃う共有スペースにピカピカの立派な会議室など、外から来る客には大変立派に見える(なぜか若い非正規雇用の女性ばかりが受付デスクに並んでいたりします)一方で、肝心の執務室はといえばオープンスペースでごちゃごちゃうるさい中に机がずらずら並ぶ鶏小屋みたいになっているのがほとんどです。よくあるオフィス訪問記事を見ればわかりますが、実際の執務室の様子はちょっとしか写真に出ていないのは広報的にもまずいとわかっているからなのでしょうね。ZOZOTOWNのオフィス訪問記事の写真を数えたら全部で80枚ほどあるのに、執務室が映っていたのは(それもごく一部ですが)たった1枚しかありませんでした。それもだだっ広い部屋に平行に机が並んでいる至って平凡なオープンスペースです。この数十年、多くのオフィスビルは外がガラス張りになりましたが、いくらそんなことをしても企業の透明性が増したりはしませんでした。それと同じく、オープンスペースでうるさい環境に人を詰め込んだところでコミュニケーションの問題は改善しないのです。いずれにせよ、そんな客にだけ豪華に見える牢獄のようなオフィス環境で働く労働者への経営陣からのメッセージは明白です。お偉方のエゴを満たす装飾の代金を劣悪な環境で稼ぎ出すのがお前たちの仕事だ、よろしく。なので、実はそんなに巨額の予算がなくてもああいったイキリ系の企業と競争する方法はまだまだあります。通勤と職場環境こそ改善する必要があるのに、それが理解できないで人材不足を嘆きながら虚しくケータリングの請求書を眺めている経営者は反省した方がいいと思います。

でも無料のビールは続けましょう。WeWorkの大手町のビールを注ぐのはだいぶ上達したんですよね。街一番を自負しているので誰か勝負しましょう🍺。

ええと、それから通勤の話です。小池都知事は通勤の混雑緩和に山手線だか中央線だか忘れましたが車両を二階建てにするという誰の目にも無理かつ無駄なプランをぶち上げて圧勝で当選しましたが(案の定実現していませんが)、当然ながら都にも一介の企業にもそんなインフラの改革などできるわけがないので、通勤事情を改善するにはもっと別のアプローチが必要です。そこでわれわれが採用したのが、通勤時間の撤廃です。渋滞というのを定義すれば、それは道路の面積に対して車の数が多すぎるという単純な式が当てはまります。電車の混雑も全く同様です。なので、混雑した電車の中で「なんでこんなに混んでいるんだ!」と不満の声をあげる人がいたら、みんなで一斉に「お前が乗ってるからだよ!」と教えてあげるといいと思います。ではなぜそんな状態を人々が甘んじて受け入れているのかといえば、我々がエクストリームなほど従順で自分の顔を殴れと命じられれば喜んでそうするからでは全くなくて、出社時間がどの会社もほぼ一緒だからです。残業には鈍感でも出社時間には過敏な我々の社会では、遅刻は重い罪です。そのため人々は不快な通勤というより軽い罰を受け入れているだけなのです。でもそれはまるで選挙のようにひどいものの中からよりましなものを選ぶ行為だし、もう少しなんとかしたほうがいいはずで、だったら遅刻をなくしてしまえばいい、というのがこのプランです。

プログラマの仕事はとても集中力を必要とするものです。しかし人間は1日の間に本当に集中してられる時間はそんなに長くはありません。計測してみたいとは思うのですが、肌感覚として2時間もあればまともなプログラマは結構な結果を出すことができます。4時間なんてちょっとした大冒険ですね。8時間も集中している人がいるとしたらちょっと危ないんじゃないかと心配になります。そこまで集中していなくても、頭の中には色々なコードや環境の断片が詰まっていて、ふとした時に最適化のヒントが浮かんだりするのも珍しいことではありません。さて、では9時から5時までオフィスに詰めていることがこのような種類の仕事の効率の向上にどれだけ貢献するでしょうか。

正直な話、24時間中に2、3時間しか訪れない「ゾーン」に入る貴重な時間は、いつやってくるか保証がないものなんですよね。そりゃ真面目に働け給料払ってんだぞと言いたくなる気持ちもわからないではないですが、それでやる気が出て集中力が増すわけがないのが人間じゃないですか。それに、その性質を逆手にとって、みんなプロフェッショナルなんだから成果だけで判断するよ、だから仕事をする時間なんて自分で決めてくださいね、というのは、甘やかしているんじゃないんです。例えば、営業職なら完全な成果主義にするよというようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。どんなに頑張ろうが知ったことじゃないぞ、売り上げが出なきゃお前の仕事はなくなるからな、といわれて嬉しい人などなかなかいません。だからこそ、いい環境と引き換えに仕事してねとお願いしているので、まあ差し引きすればそんなにひどい取引じゃないですよね。というわけで、プログラマには出勤時間を廃止し、ついでに出社義務もなくしました。進捗だけはリモート参加もありな短いミーティングを入れることもありますが、当然家から参加できます。会社に来たら素晴らしい個室と静かなオフィス、腰痛になりにくい椅子なんかが用意してあるし、みんな優秀だから質問したり会話するだけでスキルの向上にもなるけど、でも来なくてもいいよ、というわけです。最高でしょ?

さらに面白い話、こういうのって結構な割合の人が「いいね」と言うんです。でも実際には決して(肌感覚では99.999%くらい)実行しません。理由を聞くと、いやあ贅沢する前に実績をあげなきゃ、プログラマも少しは稼いでからでかいこと言ってくれよ、なんて声が出てきます。でも、少し賢い人ならわかるように、順番が逆なんですよね。ダメなチームを作ったらダメな製品しか生まれません。だから、これって競争優位なんです。それに、まるで受験勉強のように、投資対効果が高くて実は他と比べると大した費用もかからずに実現できてしまうのも魅力です。もちろん、いい製品を作ったからといって売れるかどうかは別の話ですが…

ええ、聞こえています。読者の皆さんの声が。「で、結果はどうなったの?上には痛み分けって書いてあるけど、結局偉そうなこと言っててお前らGoogleみたいになってないじゃん?」ふむ、確かにそう思われるのもわかります。しかし…

長くなったので、開発チーム作りという壮大な実験の話はここで一旦区切り、次は採用についてのエントリにします。