先日、弊社の友の会のメンバーが「スクラムマスター資格」の研修に(勤め先の費用で)参加してきたそうです。30万円で数日間にわたるセミナーだったそうで、へえ、どんなことをやるのかなと興味津々で話を聞いたのですが、話を聞けば聞くほど訳が分からなくなったので、皆さんにも共有したいと思います。どこのスクールもそうだというわけではないと思いたいのですが、想像以上に不愉快なものでした。いやあ、あまりの内容にとても驚きました。やってることはよくある洗脳型の研修とか自己啓発系のセミナーと同じ手法なんですよね。例えば

「企業にスクラムを導入するとしたら、どこに導入するのがいいですか?」

講師が参加者にこんな質問をします。「あなたがスクラムマスターという立場でお答えください」だそうです。皆さんも一緒に考えてみてください。そうですね、例えば自分のプロジェクトでGitHubのissueにこんなのがポンと出てきたら困りますよね。具体性もないし曖昧で、どうとでも答えられる質問なので「時と場合による」としか答えようがありません。さっさと「bogus」か「won’t fix」ラベルをつけて「なぞなぞやってる暇なんかねえよ」とコメントしてcloseするべきですが、まあ考えてみてくださいな。

答えは出ましたか?

実はこの問いの曖昧さには理由があって、お金を払ってまで講習にやってくるくらいですから基本的にみんな真面目な参加者たちは頭を捻ってあれこれ考えて答えるわけですが、講師はどんな答えも否定します。そして挙げ句の果てには困った受講者に「あなたにスクラムマスターになる資質はあるのですか?」などと無礼な修辞疑問文を投げつけて侮辱したりもします。そして、正解にたどり着かないからと何度も答えを出させようとします。もちろん、いずれの答えも否定されます。参加者が問を解釈しようと試みて「これはこういう意味ですか?」などと質問しても、「それもお考えください」と突き放し、決して答えようとしません。「どこでもいい」と答えようものなら、「あたなは思考を拒絶する、ということですね?」などと脅してきます。そして、なんと初日はほぼそれだけで終わり、翌日はその続きからなので、「結論から思考を始めるな。それ以上質問がでないくらい、前提をほり下げ、理由付けし、結論を出すべし」という謎のアドバイスと共に虚しく終了します。

全くひどい話ですが、少しでも哲学の歴史を知っているなら、20世紀初頭にはこの問題にはおおよそ決着がついていることに気づくはずです。つまり、正しい質問をすれば答えは得られます。そうでない場合は、質問が悪いのです。

Everything that can be thought at all can be thought clearly. Everything that can be said can be said clearly.

もしスクラムマスターの講師風情がこれを否定するというなら、世界中のヴィトゲンシュタインのフォロワーを相手に延々とやりあえばいいと思います。頑張ればそのうち「how many roads must a man walk down」にもちゃんと整数の解が見つかるかもしれないですからね。

もちろん、この研修の問題点は言語哲学的な側面に限るわけではありません。例えば「ウォーターフォールは世界大戦での負けた日本の手法だ」みたいなことを説明したりもします。そうなんだ、てっきりうちの爺さんが酒を飲めないからかと思ってましたよ。全体的にスクラムは全能で、学術的に証明された方法論であり、ソフトウェア開発のみならずあらゆる場面に適用可能で、それは例えば空腹な人に魚を与えるのではなく魚釣りの方法論を授けるのだ、みたいな話が続きますが、そんなに全能なのに受講者の自尊心が挫かれっぱなしなのは何故なのでしょう。しかし、こんな陳腐な内容で参加者が席を蹴らないのにはもう一つ理由があります。実はこの研修、修了すると試験を受けて晴れてスクラムマスターになれるのですが、修了かどうかは講師の匙加減ひとつで決まります。そのため、気に入られるように行動するしか受講者には選択肢がありません。そんな非対称的な立場での研修なので、こうして嫌がらせのような内容に終始して参加者はメンタルをひたすら削られることになっても改善するインセンティブが働きません。もし受講者が真面目に「目的をチームで共有し、継続的に定量化されたフィードバックを受け入れるのとができるチーム」なんて答えようなら待ってましたとばかりにコテンパンに否定されるんですから、ひどいものです。

そして、翌日は驚いたことに前日のなぞなぞはすっかり忘れられて、その答えも示されず、全く関係のない知能試験の練習になります。方眼の上のいくつかのドットを使って二等辺三角形を作ったり、数合わせパズルみたいなことをやります。それからなんかカードゲームみたいなのが配られます。それぞれのカードには頭蓋骨の重みに耐えられそうもない細い首の、サツマイモみたいな髪の色をした、眼と胸部だけが肥大化した内股のティーンエイジャーが露出の多い格好でポーズをとっている姿が描かれています。カンバンギャルだそうです。講習で特に使われることはありません。参加者がそんなものをもらって喜ぶと本気で思っているのか、それとも頭がおかしいのか、その両方だと思います。そして翌日の研修も内容は大体同じ。その合間に、スクラムならこんなこともできる、あれもこれもスクラムだ、という話が続く。ケースとウンチク、ケースとウンチク、この連続。だんだんとスクラムというものの範囲が曖昧になり、やがて森羅万象を司るルールのような立ち位置になっていく。下手な質問はどやされるし木で鼻を括ったような答えしか返ってこないので、参加者も反論する気力さえなくなっていく。今なら絵画でも壺でも売れそうです。だってこれ典型的な洗脳の手口だもの。

こんな風にしてスクラム研修なるものは終了します。あ、でも研修の間に一つだけ明確な答えがある問いがあったそうです。

「みなさん、スクラムマスターはいつからスクラムマスターだと思いますか?」

その答えは

「スクラムマスターの仕事をしてチームからスクラムマスターとして認められた時からです」

だそうです。いや、まじで。

皆さんが呆れ果てて釘バットを素振りしてる姿が目に浮かぶようです。ちなみに、友の会メンバーは講習の後、その嫌がらせのような講師に選ばれなかったので資格試験を受験することができませんでした。全く素晴らしい話じゃありませんか。ちなみにその方、弊社の代表は「コミュニケーションの化け物」という評価をしています。化け物というのは、例えば開発チーム内のコミュニケーションはもとより、ランチに出かけた先で前に並んでいた90歳のお爺さんとも話題を見つけて会話を進めることができるというレベルの能力を指しています。「必要だが聞きにくいことをちゃんと質問できる」「相手によって話題の内容を使い分けられる」「裏のない交渉をしていると相手に思わせられる」などの高いコミュニケーション能力をお持ちなのですが、こういう能力ってプロジェクトの円滑な運営に必須なのに、会社の人事考課ではなかなか評価されないんですよね。そこで、妙な研修に洗脳されなかったことを認め、合同会社合同屋として改めてスクラムマスターと認定することにしました。なぜなら、スクラムマスター講師のいう通りだからです。つまり、人がスクラムマスターになるのはいつですか?そう、「スクラムマスターの仕事をしてチームからスクラムマスターとして認められた時から」なのです。

スクラムマスター認定書

おめでとうございます!これからもますますのご活躍を!

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