iPhoneが日本で初めてSoftBankによりサービス開始された時の機種は3GSだったのだけれど、2009年くらいにそれが出た頃、筆者はガラケー向けサービスの会社に在籍していた。ガラケーなんてもう誰も覚えていないと思うので概要だけ説明すると、当時日本には携帯電話とその上で展開される各種サービスの大きな市場があり、その小さな画面と限られた処理能力に最適化されたWebサービスやアプリケーションが大量に作り出されていた。ガラケーのシステムの中でも特に秀逸だったのが、Webサービスの利用料金を携帯電話の通話料金と一緒に請求できるマイクロペイメントの仕組みが整備されていたことだ。ユーザーは毎月送られてくる領収書などあまり細かく見ないので、100円や200円程度の差なら通話料金の誤差と見分けがつかず、大抵の人は気にしないで課金してくれる。またサービス事業者は料金の徴収をキャリアに任せられるので、小さな会社でも容易に参入することができた。もっとも、これらの恩恵を受けられるのはあくまでキャリアの審査に通った「公式サイト」と呼ばれるサービスだけで、そうでないと個人を識別するためのIDがキャリアのプロクシから配信されないなどの制限もあった。

今でも月額課金のサービスでサブスクリプションを停止するのが異様に難しいサイトがときどき話題になることがあるけれど、当時のガラケー向けWebサービスでは退会手続きのページに無用なアンケートを用意したり(空欄にするとエラーになったり)、キャリアの審査で怒られないラインを探りながら、可能な限りやりにくいようにするのが主流だった。ほとんどのサービスがユーザーの一人当たりの経費は0に近いので、どんどん増えても10万人あたり一度くらいサーバを増強する程度で済むのだけれど、退会されてしまうと儲けの減りは確実な上に、どのみち機能も限られていて、各サイトの間にそれほど質的な違いもなかったし、退会したユーザーが戻ってきてくれる望みもさほど高くなかったという事情もある。

そんなわけで、ガラケーのサービスの理想的なユーザーを定義すると、月額課金のサブスクリプションをしたまま何もかも忘れてアクセスさえしてこない人たちということになる。そして当時はそんなユーザーを大量に作り出す仕組みが課金の他にもう一つあった。DeNAの提供するモバゲーだ。携帯電話の爆発的な普及により、これまでゲーム機や漫画、新聞などに費やされていた時間が、四六時中持ち歩いている携帯電話に吸収されつつあった。その中でもゲームは大変人気のあるコンテンツで、モバゲーは簡易なゲームを一箇所で体験できる上に、チャットや伝言板のような機能もあるので、みんなその上で実に健全なコミュニティを形成していったのである。なんてことがあるわけがなくて、モバゲーは性的な関係を求める人々にも大変強くアピールし、そんな雰囲気の中で「ワンチャン」を狙い群がる人々のさまざまな(主に下半身の)欲求を吸収しながらどんどん成長していったのである。

さて、そんなモバゲーがどうして他の公式サイトのサブスクリプションと関係あるのかというと、モバゲーのビジネスモデルはゲームからの直接の売り上げを得るのではなく、そのユーザーの行動を広告として販売していたからだ。具体的には、モバゲーのユーザーはゲームの途中でポイントが足りなくなると、モバゲーに広告を出稿しているサイトが画面に案内されて、そこにアクセスしてサブスクリプション登録することで追加のポイントを獲得してゲームを継続することができる。ゲームの画面くらいしか見たことがないのであくまで想像だが、おそらくチャットや伝言板の機能も同じような仕組みだったのかもしれない。そんな仕組みがある上に、当時の大抵の公式サイトの月額課金サービスは月の途中からの利用には日割りで課金されるのではなく、初月無料などの仕組みがあり、当月中の解約を忘れさえしなければ課金されることもないから課金登録自体が気軽になされていた。しかしこれはあくまで来るべき理想社会の合理的な人間の行動であって、少なからずの人が解約を忘れたり、解約の途中で面倒になったりするので、公式サイトたちはこぞってモバゲーに広告出稿するようになる、というわけだ。

毎晩遅くまで残業しながら運営していたサービスが、結局は出会い厨の性欲で支えられていたというのも、なんというか因果な話である。

そんな下部構造(違います)で形成された日本における携帯の市場だが、2009年のiPhone 3GSの登場で色々と前提がひっくり返されることになった。ガラケーの世界ではキャリアはインフラであり土管としてお金と情報の流れを請け負い、収益はあくまで携帯電話の通信料から得ていたので、その上に各社が安価にサービスプラットフォームを形成することができた。各社はキャリアの店子であると同時に、ガラケーのサービスを魅力あるものにするためのキャリアの武器でもあり、共犯じゃなかった共闘関係にあったわけだ。しかし、iPhoneでは課金はAppleが全て握ることになるため、このプラットフォームがAppleにより独占され、その上でサービスを提供するためには収益の30%をAppleに捧げなければならない。それ以外の何かのプラットフォームを構築すること自体が規約により禁止されているのだ。

iPhoneが日本にも登場した当初、特にガラケー事業者や日本でインターネット上でサービスを展開している人たちのiPhoneへの評価があまり高くなかったのは、ガラケーの仕組みの上に構築されたプラットフォームの手堅さに太刀打ちできるようには見えなかったのも原因の一つだと思われる。ユーザーはこの仕組みに満足しているように見える。そこに画面が綺麗でおしゃれな端末が登場したところで、これまでもそんな端末はいくつか登場しては消えていったのだし、今回もまたそれほど大きな流れにはならないのではないか。

しかし、おそらくガラケーのマイクロペイメントが月額課金をある意味で促進したのも、下半身の欲求をくすぐられた若年層の利用が広まったのも、別に最初から狙っていたわけではない、あくまでも副次的な効果だったのではないか。もしそうなら、副次的な波及効果というのは決してバカにできないものになり得ると、われわれはガラケーの成功自身から学ぶ機会があったのではないだろうか。

当時、ガラケー向けのサービスを提供したり、そのためのシステムを開発する会社に在籍していたのだけど、iPhoneが登場してすぐ、マネージャー職の中でも経営陣のお気に入りメンバーには研究のためということでそれぞれ新品のが1台ずつ配布されていた(当然、筆者はもらえなかった)。でも、そのクラスの人たちが新しいキラキラした端末を手にしても、飲み屋で見せびらかしながら未来のモバイルとはみたいな下らない事を語ることくらいしかできないし、その上で動かすものを開発することなど全くもって不可能だった。運よく何かアイデアを膨らませることが出来たとしても(パンデミック前は新橋や六本木の飲み屋では毎晩数百の革新的ビジネスのアイデアが登場し、夜明けまでに下水道に消えていくというサイクルが出来上がっていたんですよ)、コードが書けるわけでもないので外注するしかないので大したことは何も出来ない。

もちろんそれは、彼らがとびきりに頭が弱かったせいではない。サービス事業者にとって、iPhoneはまだその程度の存在だったというだけだ。確かに先見の明はなかったかもしれないが、そんなものを求められても誰にだってほとんどありはしないのだから仕方がない。むしろ、自分たちの事業の屋台骨を揺るがす存在になり得るものなわけだから、見ないふりをしていられるうちは見ないふりをしていたいというのが人間というものだろう。バラ色の未来が来る確率は常に低いので、まあ大抵は低めに見積もっておけばいいというのも大人の知恵というものだ。

思い返せば自分が会社を辞めて独立したのは、会社のiPhoneやクラウド事業に対しての見方が甘く、その原因が現状そこそこうまく回っているために起きている正常性バイアスであったり、過去の投資分を回収したいという間違ったサンクコストへの執着を見るにつけ、自分もその流れに巻き込まれてしまうのは避けたかったからなのが半分で、もちろん残りの半分はiPhoneを買ってもらえなかったことへの恨みでもあった。案の定、というのも後知恵っぽくて恐縮だが、一時は六本木の大きなビルにオフィスを構えていた会社はその後どんどん縮小し、やがて消えていった。経営層だけは何かしら手元に残る金があったようだが、その下で健康を犠牲にしながら働いていた連中が少なくとも金銭的に報われたという話は聞いていない。

こういう体験を積み重ねて痛い目に遭いながら人間は多少の知恵を身につけ、あるいは身につけた気になりながら老いていくわけだけれど、ソフトウェアを作る会社は開発者に最高の機材と環境を提供しなければいけないという信念はこの時に感じた不満とその結果を眺めたことから学んだものだ。全員にたっぷり電源のある個室とアーロンチェアを用意し、好きなマシンを選んでもらい、オライリーのオンラインコースと読み放題サービスに加入させ、なるべく大きなディスプレイを提供するだけで、おそらく新しいプラットフォームや技術が出てきたら自然にみんなが対応を考えてくれるようになるだろう。だって会社が世間に取り残されたら、最高な環境を手放さなければいけなくなってしまうのだから。考える必要さえないことだ。ちなみに考える必要さえないという意味の英語の言い回し「no brainer」は日本語の感覚だと脳脳erみたいになるので好きだ。